生きづらさについて:内面の自由とありのままの自分

何となく窮屈さを感じる、人と合わない、社会と合わない、他のみんなとは違う気がするなどの漠然とした思いから、悩んだり、不安感、疎外感があり、生きづらさを感じたり、生きづらさについて考えたことはありますか?

経済的には豊かになりつつも幸福度は低いままの今の社会。生きづらさは多くの人が感じていることでもあります。

生きづらさを感じているのはあなた自身に問題があるということではなく、今の世の中が生きづらさを感じやすい世の中になっているとも言えます。

今回の記事は生きづらさについて触れ、生きづらさから脱却して幸せな人生にしていくことに役立てばと思い書いています。

多くの人は生きづらさを感じるような夢の中で生きている

生きづらさについて触れていく中で、まず最初にお伝えしたいのは、私たちは夢の中で生きているということです。

ここで言う「夢」とは、眠っているときに見る夢ではありません。

私たちが見たり、聞いたり、経験したりするときには、自分独自の見方、価値観、想像、思い込みなどの現実認識の仕方を通して受け取っていて、その受け取ったものを私たちが見ている夢と言っています。

プロセス指向心理学という心理学では、人が受け取る現実を3つのレベルに分けています。それは、合意的現実レベル、ドリーミング・レベル、エッセンス・レベルの3つです。

合意的現実レベルとは、誰もが同じように受け取る現実です。目に見える様な形で起きている出来事とか数字で表せるようなもの。

Aさんが○○と言った、Aさんが○○をした、というようなことですね。

ドリーミング・レベルとは、あなたの内面の状態によって受け取り方が変わるレベルです。あなたの想像、感情、期待・希望、予測、思い込みとして表現できるもの。合意的現実レベルでは誰もが現実を同じように受け取りますが、このレベルでは人それぞれに受け取り方が変わってきます。

Aさんが言ったことで私は□□という気持ちになった、Aさんが○○したのは□□だからだろう、というように受け手の推測や解釈が入り、受け取り方が人によって異なります。

エッセンス・レベルとは、物事の本質、普遍的な原理や真理と呼ばれるもののレベル。一人ひとりの使命・存在意義、組織における理念、人間全体における慈愛の心のようなもの。

私たちは、この3つのレベルで現実を受け取っています。

そして、ときにドリーミング・レベルと合意的現実レベルとを混同して現実と受け取っています。

・Aさんは、自分に対して△△と思っている。
・私の言ったこと、したことに対して、みんなは△△と思うだろう。
・○○のときは、□□のように振る舞うのが一番いい。

これらは、合意的現実ではなくドリーミングレベルでの現実であり、あなたの価値観、道徳観、性格、ものの考え方、ものごとの視方が入っています。

こうしたドリーミングレベルであなたが受け取っていることがあなたが見ている夢です。

自分がどのような現実を受け取っているかを知り、どこまでが事実でどこからが自分の夢なのかを知ることは自分自身の頭や気持ちの整理にとても役立ちます。

そして、人それぞれに見る夢、ドリーミングレベルでの受け取り方は違うということを知っておくこと、他人と接することが楽になります。

自分が夢を見ていることに気づいていなかったり、人それぞれに見る夢が違うことを知らなかったりすると、自分の受け取り方や他人との違いから窮屈さや苦しみ、不安が生じ、それが生きづらさになることがあります。

生きづらさについて考えるときに、人それぞれの夢の見方はとても大きな意味を持ちます。

自分が見ている夢に気づき、他人が見ている夢との違いを知ることが生きづらさから脱却するはじめの一歩です。

生きづらさを感じさせるもの

人は誰しも生まれてから現在までに見たり聞いたり経験したりして情報を受け取って生きています。

それと共に私たちには「学ぶ」という習性があります。

私たちは受け取った情報から学び、その学びを活かして、どこに意識を向け、何を感じ、どのように考え、どう行動するかを左右します。

私たちが学んだことは、私たちの内面にあります。

ときにそれは、信念、価値観、常識、道徳観、倫理感、性格、ものの見方、考え方、マインドセット、人生脚本、メンタルブロック、トラウマ、インナーチャイルド、ペインボディなどとも呼ばれます。

私たちは生きている中で、受け取った情報と私たちの内面にあるものを通じてものの見方を決め、私たちが住む世界を形作っているのです。

それが私たちの夢の見方です。

オーストリアの精神科医、心理学者であり、第2次世界大戦中に強制収容所での生活を体験したこともあるヴィクトール・E・フランクルは、こう言っています。

「刺激と反応の間には『間』があります。その『間』において人は自らの反応を選んでいます。その反応は、自らの成長や自由によります。」

この「間」における選択を左右しているのが、私たちの内面にあるものであり、それを通して私たちが見ているのが夢です。

こうしてみる夢が、ときに私たちに生きづらさを感じさせます。

なぜ、そうした夢が生きづらさを感じさせるのか>

それは、その夢はあなたの夢だけでなく、社会の夢、人類の夢も含んでいるからです。

社会の夢、人類の夢も含んでいるとはどういうことかと言うと、私たちが受け取った情報は自分自身だけで決めているというわけではなく、社会や人類の歴史の影響を受けているということです。

親・兄弟姉妹、周囲の大人、友達、学校の先生、本、テレビ・新聞・雑誌・インターネットといった様々なメディアなどが私たちに情報を送り、私たちはそれらを受け取って生きてきました。

私たちの内面は、これまで受け取った情報や経験によって作られています。

私たちの周りには常にたくさんの情報や経験があります。そのなかの一部だけを受け取っています。

あなたの周囲の人や社会は、自分たちが発する情報や経験をあなたが受け取るように振る舞います。

しつけとか教育とかを通じて。ときには褒めたり、ときには叱ったり。

そうして受け取った情報の中には、人間関係のなかでどう振る舞うのかが正しく、何が間違っているのか、他人に受け入れられるためにはどうすればいいか、どうするのがいけないのかといった社会が好むような規則も含まれています。

そのため、私たちは自分が好む好まざるに関係なく、社会が好むような形に育てられています。

こうして自分自身で選んだわけでもなく信念、価値観、道徳観などを作り上げていきます。

これらはとても強力であり、あなたの考え方、言動を決めています。

「カマスの実験」というお話があります。

大きな水槽の真ん中に透明な仕切り板を入れ、2つの区画に分けます。そして片方にカマスを入れ、もう片方にカマスのエサとなる小魚を入れます。

最初はカマスは小魚を食べようとして透明な仕切り板に何度もぶつかります。

そして、そのうちに水槽の半分から先に行けないことを覚え、エサの小魚を食べるのをあきらめ、水槽の半分でおとなしく泳ぎます。

おとなしくなってから透明な仕切り板を外してみるとどうなるか?

相変わらず水槽の半分の範囲で泳ぎ、目の前にエサの小魚が来ても食べようとしなくなるそうです。

これと同じように私たちに刷り込まれた規則は私たちの考え方、言動を支配し、内面の自由を奪い、自分ではそれが当たり前になります。

こうして私たちは本来の自分ではないものに育て上げられるのです。

そんな本来の自分ではない社会が作った自分を生き、内面の自由が奪われているから、生きづらさを感じてしまいます。

自分で自分を生きづらくさせている

私たちは自分ではないものに育て上げられるとともに、良い、悪い、正しい、間違っている、優れている、劣っているなどの評価判断にさらされ、自分自身も評価判断をするのが当たり前になっています。

そうした評価判断は、他人に向かえば相手を傷つけ、生きづらさを与えることにもなりかねません。

周りが望むこと、好きなことをすると良い子と呼ばれ、そうでないと悪い子とされる。

規則に逆らうと罰せられる。このアメとムチにさらされて生きている。

私たちは、他の人だけでなく自分自身に対しても評価判断をしています。

ときには法律や規則といった自分の外にある規則だけではなく、信念、価値観、道徳観などの内面の規則によって自分自身を評価判断しています。

特に自分の内面にある規則は強力であり、毎日毎日、自分自身を評価判断し、裁いています。自分自身にアメを与えることなく、ムチばかりをふるう人も多くいます。そうした人は、自分で自分を裁き、責め、罰し、苦しめています。

何か自分の中の規則に反することをすると、一度ではなく繰り返し繰り返し自分自身に苦しみを与えます。まるで生きながらも、ずっと地獄の中にいるように。

生きづらさについて思うときに、この仕組みは強力です。

私たちは、自分で自分を生きづらくさせているのです。

生きづらさから脱却する「ありのままの自分」

私たちが内面に持つ規則は、他人に認められるような良い人、人間の理想像を作り上げます。それは社会や人類の夢を含んだ理想の姿でもあります。

しかし、私たちは生身の人間であり、必ずしも理想の人間になれるわけではないし、ならなくてもいい。

それでも私たちは社会や人類の理想の人間像を目指し、そうでない自分を否定します。

私たちは他人を喜ばせよう、他人に受け入れられよう、社会に好まれる人間になろうとして、そうではない自分を否定しています。

人から受ける評価判断は痛いものですが、自分で自分を評価判断することほど自分を傷つけ、苦しめ、生きづらさを感じさせることができるものはありません。

何か失敗すると、他人の前では自分を正当化していても、一人になれば自分の内面にある規則で自分自身を評価判断し、罪の意識を抱かせ、自分を出来が悪いもの、価値の無いものに感じさせます。

私たちは生きづらさから脱却するために、内面にある私たちの力を奪うような規則から脱却する必要があります。

私たちはお互いにお互いを受け入れ、お互いを愛す必要があります。そして、そしてそれ以上に自分自身を愛し、ありのままの自分を受け入れる必要があります。

自分自身の内面にある規則を作り直せば、世界の見え方、私たちが見る夢は大きく変わり、生きづらさから脱却し、人生も驚くほどに変わります。

そして、内面の自由を得てありのままの自分で生き、日常は平穏で満ち足りたものになります。

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