自由と運命は固く契り合い、意味を包括し合っている

今日は3月最終日。

山梨では昼過ぎから雨が降り始め、冷たい雨が降る寒い一日となりました。

コーチングのお仕事がなかったので、少し掃除・洗濯をした後は晴耕雨読の雨読の方。

そうそう、朝一で「出現する未来」という本の読書会もありました。

相変わらず2週間に1度くらいのペースで続けています。

いま読んでいるところは、未来を創ることについて書かれている部分。

その中の書かれていたのがタイトルの一文。

「自由と運命は固く契り合い、意味を包含し合っている」

哲学者マルティン・ブーバーの言葉だそうです。

自由」と「運命

自分以外からの制約・束縛を受けず、自分の思うままにするという「自由」

自分の意志とは関係なく、あらかじめ決められている「運命」

一見すると相容れるものではないこの二つが固く契り合い、お互いに包みあって一つになっている、とは少し受け取りがたい気もするかもしれません。

僕は、人はそれぞれに人生の目的を持っていると思っています。

それは何かを成し遂げるというものではなく、自分が他人や社会にどんな影響を与えていくか、どう貢献していくかを表現したもの。

そして、人はどんなときでも自分の人生の目的にそって生きることに喜びを見出す事が出来るし、どんなときでも自分の人生に意味を見出すことができると思っています。

その人生の目的は自分の成長とともに変わっていくものでもあるし、人生は自分の真の人生の目的を見出し、実践していくための旅であるとも言えます。

そうした真の人生の目的は、その人の運命を表しているのかもしれません。

また、自由には外部からの指示・影響・制約を受けずに自分の思うがままに行動するという自由もありますが、それだけでなく内なる自由もありますね。

自分の内側、過去の学びや体験から習慣化された無自覚な反応からの自由。

それは、どんなときも自分の運命、人生の目的にそった選択、行動をしていく自由でもあるでしょう。

そうした内なる自由によって自分の運命に沿っているとき、大いなる喜びもあります。

僕自身も利便性があるが過度な競争にさらされる都会から、田舎でのバランスのとれた生活に変え、自分自身や家族を大切にしているときにそう感じます。

そんなことを思う3月最終日の一日でした。

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